2010年2月アーカイブ
2010年2月26日
受付締切は2月28日(日)!第4回サステナブルデザイン国際会議:アレックス・カー氏、黒崎輝男さん、西村佳哲さん方がご講演。
両日ともに申し込みました。
第4回サステナブルデザイン国際会議 ”Destination 2009-2023”
- 会期:2010年3月13日(土)、14日(日)
- 会場:
13日プログラム
- 日時:2010年3月13日(土)10:00~18:00(開場 9:30~)
- 会場:桑沢デザイン研究所1Fホール
- 基調講演会「社会イノベーション・フォーラム」
- 開会の挨拶
- 内田 繁 氏
- 第1部:社会イノベーションとは何か
- 基調講演:「犬と鬼」
- アレックス・カー氏│東洋文化研究者、著述家
- 第2部:実践、社会イノベーション
- 講演1「ソーシャル・イノベーションに向かって」
- 熊野 英介│アミタ株式会社 代表取締役社長
- 講演2「リサイクルから第二資源という視点」
- 黒崎 輝男│流石創造集団株式会社 CEO
- 講演3「自分を生きる?」
- 西村 佳哲│プランニング・ディレクター
- 講演1「ソーシャル・イノベーションに向かって」
- 第3部:総括
- 益田 文和│東京造形大学 教授、本会議実行委員
- 開会の挨拶
14日プログラム
- 日時:2010年3月14日(日)10:00~18:00(開場 9:30~)
- 会場:東京ミッドタウン・デザインハブ インターナショナル・デザインリエゾンセンター
- 分科会「社会イノベーション × デザイン」
- セッション1「地方、農業 × デザイン」
- プレゼンター:中原知里│田舎会社東京支店
- ファシリテーター:津田和俊│大阪大学大学院工学研究科特任研究員、千葉大学非常勤講師、Suitendo代表
- セッション2「共有 × デザイン」
- プレゼンター:未定
- ファシリテーター:本田 圭吾(専門学校 桑沢デザイン研究所 専任教員)
- セッション3「連携 × デザイン」
- プレゼンター:本村 拓人│株式会社Granma
- ファシリテーター:酒井 良治│日本産業デザイン振興会
- クロージングセッション「Destination 2010-2022に向かって」
- セッション1「地方、農業 × デザイン」
開催趣旨
地球環境問題への取り組みは、社会問題の解決とともに行われなければならないという考えのもと、われわれはエコデザインとソーシャルデザインの複眼をもって、目的地であるサステナブルな社会を構想し、接近することを目的とするプロジェクト:サステナブルデザインを起こし、その一環としてこのサステナブルデザイン国際会議を開催してきた。
開催主旨と今回のテーマ - 第4回サステナブルデザイン国際会議 Destination 2009-2023
テーマ
テーマ:社会イノベーション進行形
[テーマの解題]
地球資源の枯渇や気候変動に向けてひた走る現代文明の、過剰生産、過剰消費に歯止めをかけながら、生産・消費活動の徹底的な効率化を図るという、サステナビリティへの取り組みは、人類の生存にかかわる極めて大きな挑戦である。しかし、その当面の目標が、地球温暖化ガスの排出量の削減であるのは良いとしても、そのことがあたかも目的であるような議論に終始していては、利害の対立を招くばかりである。やみくもに削減を目指す運動は続かないだろう。
それよりは、CO2濃度の低い暮らしが自然であり、快適で楽しいものであることを示す必要がある。過剰な消費を削減することで理想の暮らしに近づく、という方向性が示されれば、人は自ら動くはずである。暮らしやすい社会をつくるために積極的に削減するという動機付けが必要なのである。いかなる技術イノベーションをもってしても、一方で資源・エネルギー消費を拡大させながら、同時にCO2排出量を減らすことなどできない、ということは過去10年あまりの日本の実績が示している。
社会全体の問題解決が同時に地球環境問題の改善に結びつく関係性を作り上げるために、デザインは大きな影響力を発揮することができる。なぜなら、20世紀をとおして、デザインは不本意ながら、環境を悪化させながら新たな社会問題を生みだすという、逆の関係づくりに使われることが少なくなかったからである。デザインは、より良い未来の社会を作るという目的のために使われてこそ本来の力を発揮するということを、今だからこそ実証して見せる必要がある
開催主旨と今回のテーマ - 第4回サステナブルデザイン国際会議 Destination 2009-2023
「相談ごとというのはね、」
「僕には親友と呼べる人が、この世にたった一人だけいて、それがたまたま彼だった。本来ならば、僕たちは友だちになるのは無理だった。けれど僕らは小さい時から同じ町で生きてきて、互いの悩みを聴き合ってきた。いつの間にか自然とね。家族のこと、町のこと、社会や未来や仕事のことを僕らは話し合ってきた。僕は包み隠さずほとんどすべてを打ち明けてきた。相談ごとというのはね、相手の境遇や性格といったその人の機敏を把握していて、そのうえで初めて成立するんだ。僕と彼との間にはややこしい説明はいらないし、取り決めごとや心配もなく、探り合う必要が全くない。ただ、僕が何かを言うときに、彼がそこに居るだけだ。僕たちは何でも話せる代わり、それほど多くも語らない。昔からずっと、そうだった。友達は何人もいるけれど、大人になって気づいたら親友と呼べる友達は彼以外にはいなかった。彼はたまたまスンニ派で、たまたまいつも傍にいた。最近、僕はそのことを本当に感謝しているんだ」
2010年2月25日
Requirements:
Requirements:
- BA/BS degree preferred with a strong academic record.
- Fluency, written and spoken, in English and Japanese.
- Excellent written and verbal communication skills, especially in the area of international collaboration.
- Self-starter with the ability to work on multiple initiatives at the same time and good project management skills.
- Strong analytical and problem-solving skills and attention to detail with the ability to complete a large volume of work quickly and independently.
- Ability to integrate into core product team by actively adding value to their decision-making processes (sharing user feedback in a smart way and providing insight into product development process) and being proactive in building influential relationships with Product teams.
- Technical writing experience a plus.
Consumer Operations Strategist (Japanese Market) - Mountain View
場所のメモ。
場所のメモ。
Hope to visit.
- STYLE’S GOOD FOOD SERVICE
- shop and gallery _ tray
- STANDARD TRADE.CO.,LTD.
- SHIBUYA PUBLISHING BOOKSELLERS
- ROBAHOUSE
- 江戸東京たてもの園
- ANA 機体工場
- JAXA:宇宙航空研究開発機構
- バンダイホビーセンター
- solferino
- 白川郷
- D&DEPARTMENT PROJECT OSAKA
- KURUMINOKI
- Salar de Uyuni
- Viaduc de Millau
- The National Air and Space Museum STEVEN F. UDVAR-HAZY CENTER
- The Loisaba Hotel
- Hotel Bora Bora
- The Sarojin Resort
- Convento do Espinheiro Hotel & Spa
- Palafitte Hotel
- Fernando de Noronha
- Shompole
- AMANKILA
- Hotel Caruso
Visited.
「他人のために奉仕することが素晴らしいのは、」
「他人のために奉仕することが素晴らしいのは、
それが誰にでもできる、という点です。
大統領である必要も
プロスポーツ選手である必要もありません。
国や共同体に恩返しをすべく、
一歩踏み出そうという
気持ちさえあれば十分なのです。」
via. 『GQ』, P209
2010年2月24日
今夜、19時から表参道駅すぐの北青山LaBohemeにてご飯を食べます。お時間ある方はぜひ。
★今夜、19時から表参道駅すぐの北青山LaBohemeにてご飯を食べます。お時間ある方はぜひ。遅れても大丈夫。誰でもどうぞのオープンなご飯会。会費はありません。各自食べた分をそれぞれ。? 北青山LaBoheme http://tinyurl.com/ylmlqsb
Twitter / Munechika I, Tokyo: ★今夜、19時から表参道駅すぐの北青山LaBohem ...
私の連絡先。
2010年2月23日
Google Latitude.
@sunnytsang そのうちにみんなの中間地点で集まるのもいいかもね。今ならハワイになるみたい。 http://gdzl.la/7FbixJ
2 minutes ago via Tweetie in reply to sunnytsang
Twitter / Munechika I, Tokyo: @sunnytsang そのうちにみんなの中間地点で ...
読了:『書に千秋の歴史あり-中国書法発展史』
台湾の国立故宮博物院で買いました。サイトにも少し解説があります。
金文に以前から関心があります。本書の「春秋戦国時代の蔡候産戈の銘文」は金文の中でもとても美しい。国立故宮博物院でも一つ、同様の金文が記された刀の束?がありました。面長で細身で鳥のような流麗な線が戈に合わせて描かれているのを一目みて、ぐぐっとその世界に引き込まれました。
本書の中にある書では、宇宙観すら感じる「随智永『真草千字文』、格調高い「南宗 高草『書七言律詩』」、端正な「清 永星(星の右に王)『書御製義義利辨』」がなかなか良かったです。
Related links
2010年2月22日
「子どもの時代が終わるとき。」
「ひよこは数週間で、猫は数ヶ月で、人は13年で、大人の体になる。東洋の禅の先生曰く、子どもは、自らを取り囲む現実の知識を、大人が言うところの『遊び』を通して、いつでも本能的に吸収することができるのだという。
すべての感性の受動体が、情報を受け取ろうとめいっぱい開いて、見たり、触ったり、においを嗅いだり、熱さ、冷たさ、重さや軽さ、柔らかさ、硬さ、ざらざらしているのか、すべすべなのか、色、形、距離、明るさ、暗さ、音、静けさ、そういった新鮮な情報から形成される知識を、学びながら学んで大きくなる。
そして、大人になって、『社会』というものに入ると、一つ、また一つと、感性の受動態が閉じられて、やがて、何も学ばなくなってしまう。言い訳や理屈ばかり長けてきて、口からでるのは、こんな質問ばかり。
『いくらするの?』
『何の役に立つの?』
『どんなメリットがあるの?』」
via. 『ムナーリのことば』, P85-86
読了:『ムナーリのことば』
本書を購入して、カフェで読んで、それから家で読み終えたときに気づいたのですが、訳者は阿部雅世さんだったのですね。原研哉さんとの対談本『なぜデザインなのか。』を読んだときに、阿部さんの取り組まれていることや考えていることが素敵だなぁと思っていたので、この偶然なつながりに驚きました。
ブルーノ・ムナーリの手がけたものは目にしたことがありますが、こうした文章をじっくりと読む機会はもしかしたら初めてだったかもしれません。
これらの言葉を目でなぞり、頭の中で声に出しながらたどっていくと、そこに一つの情景が浮かんできます。ふわっといとも簡単に想起させるのは、ムナーリ自身がそうした想像の世界を持っていたからかもしれません。それを読み解き、日本語に置きかえた阿部さんも素晴らしいと感じました。
少し前から考えていることに、「社会」の前の、「文化」の前の、「文明」の前の、人の姿とはどんなものだろうかというものがあります。社会によって行為がつくられ、文化によって行為がつくられ、文明によって行為がつくられているのではないか、という問題意識が原点にあります。
もちろん、やはりそのようにつくられた行動によって私たちは生きているのですが、その枠組みを一度白紙にして考えてみたときに思うのは、「子供の振る舞い」です。
とってもシンプルな行動原理で動いているように思います。
「七つまでは神のうち」という日本のことわざがあるそうです。それは、生存率が低かった昔、7歳まではいつ死ぬかわからない、どちらかと言えばあの世に足が置かれた存在であると考えられていたからだそうなのです。
そのことを知って、一方では、7歳までは神のような想像力と創造力を持っている(=人知では計り知れない予想外な行動をとる)という点において、「神のうち」という言葉が出たのではないかとも思いました。その子供の好奇心と2つの「そうぞうりょく」は、"大人"にはない類いまれなるものがあると思います。
ムナーリもそのことに関心を寄せていたのではないか、そうふと思ったのでした。
「水をやること。」
「いくら良い下積みをしたとしてもそれをのばしていかなければ意味がない。
また、下積みで得たものはあえて意識しない限り、いつまでも残るとはかぎらない。
だからこそ、下積みしたものは何度も掘り返して、意識する事が必要だと思っている。
せっかく根をつけた植物に水をやらなければ枝葉はのびないし、
花は決して咲く事はない。」
via. 『STANDARD TRADE.の仕事』, P214
最近、それを痛感しています。かつての経験を辿り、なぞり、学び直しをはじめています。
「変わらない姿勢で、質の向上を。」
「スタンダードトレードのこれからを聞かれる事がある
この先の事は十分考えているのだけれども、言葉に出してしまうとなんだか軽くなってしまう。時期がきたら話せば良いと思う。
変わらない姿勢で、質の向上を。
いつもそう答えている。」
via. 『STANDARD TRADE.の仕事』, P221
「変わらない姿勢で、質の向上を。」
この言葉は、心を打ちました。
「人間性。」
「素晴らしい家具を作りたければ素晴らしい人間になる必要があり、
それが何より難しく、先決だ。
その事だけに集中さえすれば技術は自然とついてくるようと思う。」
via. 『STANDARD TRADE.の仕事』, P224
読了:『STANDARD TRADE.の仕事』
あるプロジェクトで、目指すところの空気感を自分なりに考察するために読みました。
当たり前のことですが、全ての表情にはその奥に考えがあること、向き合うことへの大切さを感じました。実際にお店に行って家具に触れてみたいと思いました。
最近想うこと。:「家族」という考え方。
最近、ふと想うことに「家族」の考え方があります。
それは、これまでのいわゆる血縁関係をもとにした一つ屋根の下の家族ではなく、血縁関係のない友人や知人、仕事や様々なものごとで関わりのある方々も含めた「家族」という概念です。
それを想う原点には、ある一時期に濃密な時間を過ごした関係は、その後の生涯にわたって続くものなのではないか、という私的な仮説があります。特に、そこに「家族」という空気感を覚えるには、その濃密な時間にお互いのことを深く知り得ること、それに加えて重要な点は " 未来 " についてどれほど語り合ったかということが影響しているように思います。
そうした未来への熱っぽい追求を語り合った経験が記憶の奥底で確かに息づいている。どうもそんな感じがするのです。大学を卒業して、企業に就職して、日常に触れ、飲み込まれ、昨日今日明日のみを考えるようにこの社会では人はなりがちなのかもしれません。それも一つの人生として在るものだと思います。私の場合は、当時考えていたことをほんとうにやりたいなと思い続けているところがあります。
それは、かつて大学生時代に妄想したり、理想を描いたり、構想に組み立ててみたりしたことは、すべて社会のフィールドで表現するためにあったはずだからです。つまり、大学卒業後、その社会で(本来)自由に振る舞えるようになったということは、思っていたことを実現する舞台にいま立っているということだと思います。
そのように考えていると、前に話し合ったあれはどうなったかなぁと思ったり、友人があれをやるためには自分はこれをしておいた方がいいなと思ったり、またはそれができるようになっておこうと考えたり、一人として生きる以上に、他者の存在が自己の中に関係性を深めてくるようになってきます。
以前からそうしていることでもありますが、よく「未来のスケジュール」を友人やよくお会いするみなさんに聞くことにしています。それはなぜかと言いますと、友人の未来のスケジュールを事前に聞いておけば、そのときに自分のしていることで、何か協力ができるところがあるかもしれない、何か一緒にできるかもしれない、と思うからです。
そう思うのも、新しい時代であったり、新しい生き方であったり、この社会という構造の中に新しい何か一つのレイヤー(層)のようなものを現出せしめるには、一人で形づくることは難しいのではないか、と考えているからです。
「出過ぎた杭は打たれない」という言葉は、友人たちの中で共有している言葉ではありますが、出過ぎる杭になるまでのハードルはたくさんあるものと思われます。それを支えるのは、友人たちなどの信頼ある関係性のつながりです。
このように思ったのは、時代を築いた才能ある人々とそれにまつわる歴史に興味を抱いていたときに、なぜ一人だけではなく、かようにもたくさんの才能が世の中に一気に出てきたのだろうという疑問を持ったことが原点にあります。
そこには、一人または複数人の才能を世に送り出すまでに様々な支援者や友人の協力があり、またそうして世に立つことが、次の才能を舞台に引き出す機会となるというプロセスがあったように感じました。
例えば、あのクリスチャン・ディオールは、ジャン・コクトーが『円卓の騎士』において、ココ・シャネルを衣装デザイナーに採用しましたが、シャネルに敬意を抱いていたディオールも誘って、一緒に仕事をさせました。また、コクトーは、エリック・サティには、ピカソが必要だとして、ピカソに頼んでサティに会うように手配もしていました(『ディオールの世界』)。
日本では、川添夫妻がキャンティにおいてそのような振る舞いをしていたのではないかと関心を引きます。(『キャンティ物語』)
歴史においてこうした例は枚挙に暇がないほどだと思います。
そこに何があったかというと、一つの「家族」的な空気感であり、それは時や会話を媒介にして紡がれた一つのつながりではないかと思うのです。
時の接点として、毎日や毎週、毎月は会わないけれども、いつも心に気を留めている仲間がいます。時折、いまこんなことをしているよ、とか、こんなことをしたよ、とか。これからこんなことをしそうだよ、とか。そういうことを耳にしては、嬉しくなるし、よし自分も、と思います。
最近は一人一人のいる場所も、国内だけではなく海外もあり、また各々の道に邁進しつつある中で、だんだんとどこか一カ所の固有の時、固有の場で継続的に会うということはほとんどなくなりつつあります。
しかし、時空を超えてつながっているような感覚が身にあります。そんなことを想うと、それは一つの「家族」のようなものではないかと思えてくるのでした。
時代の集合意識が、活発な人間交流を生み出し、その熱を肌で経験してしまった人たちが、それぞれの分野における表現活動をもって社会に次々と突出し、あらたな一時代を創ってゆく。この「場」のもつ凝縮性と集約性から生み出される爆発力(それはもはや「狂気」)は、何なのだろうか。
熱狂あるところに、時代は創られていくような気がしています。いや、創られていくよりもむしろ「残っていく」と言うべきか。
才能はつながってゆく。
才能は個々にあるけれども、それを増幅させるのはやはり仲間であり、それを共有させるのは日常を逸脱した高質かつ高密な空間ではないだろうか。
そこでは、「会話」は触媒となり、個性と個性が出会うことの化学反応の速度を急速に高めていく。
見た:「ロートレック展 パリ、美しき時代を生きて」@サントリー美術館 - ” めのうら。/ Menoura ”
「最高の自由と創造性を持って。」
「個人と共同体
私どもが生きている、この歴史的な時代は、私たちに、個人主義から共同主義への移行の軌跡を残すであろう。個人への賞賛は、堕落、ずるがしこさ、エゴ、横領といった『価値』の副産物だ。
共同体は個人よりもずっと重要だと言う考え、また、価値のある個人というのは、共同体に何かを捧げられる人のことで、共同体から奪う人のことではないという考えが、人々の頭に芽生え始めている。個々はやがて死滅してゆくとしても、共同体は、個人というものがある限り、存在し続けるだろう。あらゆる分野における、誰にとっても有用な、経験の集大成のような伝統を、保存し、もれなく次世代に伝えるのは、共同体なのである。
ともあれ、共同体は、個々の非常に個人的な貢献により、定期的に更新され、改善され、その価値はどんどん上がる。なぜかというと、個人が死滅してしまうことはないからである。
どのくらい自分が上手なのか、見せびらかすことにしか興味がなくて、他人を助けようとか、理解しようとか、自分の言葉でなにかを表現しようとしない芸術家は、共同体の役には立たない。そういう芸術家こそが、人を無知に陥れ、隙あらばだまそうとする、いんちきな批評家と商売人をはびこらせる。
同じような政治の構造は、しばしば、美辞麗句を体現したような、まるで何の意味もない空っぽのイラストや、見せかけだけは芸術の姿をしたものの形の中に、芸術を閉じ込めがちだ。個人の無知を利用して、図案の組み付けにまで口を出し、解釈をねじまげてしまうことすらある。
だからこそ、芸術家や文化人には、共同体の文化的成長を助けるという使命を、意識してほしい。個人は、ずるから身を守り(子どものころから)、いんちきを見破り(あこがれたり、目標にしたりする代わりに)最高の自由と創造性を持って、自分の言葉で表現できるよう、自分を鍛えなければならない。たいくつな繰り返しではない方法で、伝統を保持してゆくことはできるのだから。」
via. 『ムナーリのことば』, P87-89
この文章に出会うために、たまたま入った書店で本書を手に取ったのだと確信した瞬間でした。
2010年2月21日
2010年2月19日
「人間は常に目標が必要なんです。」
「村上:お金持ちイコール人生の成功者じゃない。充実した人生を送っている人とおっしゃいましたが、それは自分に向いたことをやっている人じゃないですか。
利根川:その通りです。嫌なことをやっていたら充実するわけがない。だいたい脳というのはそうできている。人間というのはどういう行動をとっているときが一番ハッピーか知っていますか?
村上:どういうときなんでしょう。
利根川:ある目標があって、そこへ向かって一生懸命努力しているときに、人間はハッピーに感じるんです。それで目標に到着しちゃうと、もうハッピーじゃないんですよ。次の目標が必要になってくる。
村上:それは脳内の代謝物質とか、細胞の活性化とかで分かるんですか。
利根川:だいたいのところは分かっている。だから今のところは半分はサイエンスで、半分は僕の直感と思ってください。
村上:でも利根川さんの直感は、これまで外れたことがないですものね。
利根川:僕にとってはもう明白なことで、人間は常に目標が必要なんです。目標があればパワーも出るし、エネルギーも出るし、アイディアも出る。だからたとえば定年というのは非常にまずい。突然、目的がなくなっちゃうわけでしょう。
(中略)
利根川:それから目標のある人はみんな気が若い。もうへたばってくれたほうがいいと思っても、へたばらない。これは科学者の場合だけかもしれないけど、僕は十年か十五年ごとに、研究する分野を変えているんですよ。変えるというのは素晴らしいことで、双六でいうと振り出しに戻る。すると五十歳でも、大学院の学生と同じレベルになっちゃうんです。そうすると新しく習うことがいっぱいある。習うことがあるということは目標があるということです。そうすると、年をとっている暇がないんです。」
via. 村上 龍『人生における成功者の定義と条件』, P123
「人間というのは環境にものすごく影響される動物なんです。」
「利根川:人間というのは、なかなかいいなと思ってもそれをやるとは限らない。それをやるためには、もうちょっとエネルギーが要るんです。やる、ということになると、だいぶ人生も変わることになる。今までだいたいこういう線でいこうと思っていたのを、変えなければならない。
村上:そういうものを含めて、僕は才能だと思うんです。
利根川:僕もそういうふうに思うけど、逆のことも言えるんですよ。実はコミットするというのは難しい。特に若い頃にはいろいろなことに興味があって、なかなかこれを一生懸命やろうというのは決め難い。ところが僕のセオリーでは、秀才はなかなか決められないと思うんです。あれもあり、これもありと思う。それが一つの問題です。
もう一つは、秀才というのは軌道のようなものがあって、親が官僚で、成績もいいから官僚になると決めているようなところがある。これを変えるのがまた難しい。脳を研究していてますます分かってきたんだけれども、人間というのは環境にものすごく影響される動物なんです。ある環境の中にどっぷりつかっている人間は、その狭い考え方で生きている。それを変えるというのはなかなか難しいことです。義理というものが、その言葉通りの義理ではなくて、システムとして存在していて、それに影響されて生きているわけです。あるいは洗脳という言葉があるけれど、人間は自分の生きる環境に洗脳されて生きている。それをがらっと変えるのが難しいのは当然なんだけれど、特に頭のいい人は難しい。なぜかというと、変えるのはリスキーだからです。ひょっとしたらうまくいかなくて、食ってもいけなくなると思ってしまう。あまり深く考えない人間のほうが変えやすい。コミットしやすいということもあるんです。」
via. 村上 龍『人生における成功者の定義と条件』, P99-100
「めげない能力と柔軟性。」
「確かノーベル物理学賞の小柴昌俊さんが、自分は一応東大に入ったけれど、東大の中では劣等生で、成績はビリでしたと書いてたんだけど、似たような感覚があるなと思いました。MITでも非常に頭の切れる子がいい発見をするとは限らない。もっと違う能力がいろいろ必要なんです。
たとえばめげない能力。研究なんかをやっていると、失敗やうまくいかないことのほうが、うまくいくことより多いわけです。そのときにいちいちめげていたら、もう研究なんてできない。非常に楽観的である必要があるんです。
それからフレシキビリティ、柔軟性。こういうふうに考えてうまくいかないから、じゃあ、こっちかなというように変えられる能力も必要です。
こうした能力は、日本に限らず学校ではなかなか計れない。測る方法もあまり確立されていない。それがまさに脳科学の命題なんですよ。」
via. 村上 龍『人生における成功者の定義と条件』, P99-100
「ディレクターのビジョン。」
「私は、MITで学習記憶センターを作って、今、教授が十一人いる。どういうふうに教授を集めるかというのは、まさにディレクターのビジョンなんです。
今言ったように脳科学にはいろいろな分野があるわけですが、これまでの伝統的な攻め方というのは全部横へ置いておいて、記憶という問題に的を絞る。そしてそれをいろいろな方向から攻めるわけです。たとえば工学系の人、あるいは数学系の人、分子生物学系の人、心理学系の人を集めてきて、それぞれは独立しているんだけど、同時に二つを組み合わせると、1プラス1が5ぐらいになっちゃうことがある。そういうビジョンでやっているんです。しかも教授たちはみんな若い。僕が雇ったときはみんな三十代でした。」
via. 村上 龍『人生における成功者の定義と条件』, P89-90
「出る杭として打たれる前に、出過ぎるぐらいでないといけない。」
「日本という国で、自分の力だけで生き抜いていこうと思ったら、出る杭として打たれる前に、出過ぎるぐらいでないといけない。自分と他人を比べるのではなく、信じる道を精一杯歩いていると、それなりに生きていけるものです。私は建築界では評判が悪いですよ。ものすごく評判が悪い。だけど少なくとも海外の人なんかは、わりと『出る杭とぶつかって面白いことをしよう』と思ってくれるんです。」
via. 村上 龍『人生における成功者の定義と条件』, P62-63
「まず生きることが面白くありたい。」
「そうして、他人の助言をきっかけに、随分多くの世界を知ったように思います。
もう一つ、二十代の初めに、アルバイトの延長のような建築の設計で、そこそこのお金が貯まってきたときに、祖母から『お前、金貯めててもあかんで」とひと言。金を貯めても仕方ない、頭の中に、自分の身体に金を貯めろ、と。そのために何をしたらいいかは自分で考えろと言われて、私は一九六五年、一般の海外旅行解禁の翌年に、横浜からナホトカ経由でソ連に入り、シベリア鉄道で横断してヨーロッパへの建築行脚の旅に出かけました。まず驚いたのが、地球の広さですよね。目の前に水平線しか見えない、そこでつくづく世界の広さと自分の存在の小ささを実感できた。渡欧後はとにかく何を見ても驚きと発見、感動の連続で、ヨーロッパからギリシャ、果てはアフリカにまで足を伸ばし、それまで知り得なかった異なる世界の存在を知りました。
そのときにたくさんの困難に出遭い、改めて知ったのです。生きるというのは面白いことだなと。目を開いて歩いていれば、そこらじゅう面白い出来事が毎日いっぱいある。学校に閉じこもって一生懸命勉強をしている人もいるけれど、私は自分なりに面白いことを探して生きていきたいと実に明るく決心できたのです。建築の仕事がどうのこうのという以前に、まず生きることが面白くありたい。」
via. 村上 龍『人生における成功者の定義と条件』, P58-59
「その町で自分にしかできない仕事を持って生きている人。」
「結局世の中にはいろいろな人がいて、それぞれが違った形で人生を全うしている、だから面白いんですよね。大工さん、左官屋さん、鉄工所のおじさん……。僕は下町育ちですが、はっきり言って経済的には今も下町の職人さんたちは恵まれていないと思っていますが、当時はもっと恵まれていなかったと思うんです。けれども、みんな自分らしく結構楽しそうに生きていた。皆それぞれに、社会の中で自分の居場所、役割を見つけて、誇りを持って働いていたから、『これもいいな』といろいろな仕事に興味を持って、工場を覗いたりしていました。
それが今はみんなサラリーマンという不思議な呼称で一括りにされて、その状況に誰も疑問を持たずに流されてしまっている。お金はないけど、その町で自分にしかできない仕事を持って生きている人と、お金は適当にあるけれども、自分の代わりはいくらでもいると思って生きている人と、いったいどっちが幸せなんだと。」
via. 村上 龍『人生における成功者の定義と条件』, P52-53
「人生の成功者というのは。」
「人生の成功者というのは、『生活費と充実感を保証する仕事を持ち、かつ信頼できる小さな共同体を持っている人』という仮説を立ててみたい。」
via. 村上 龍『人生における成功者の定義と条件』, P13
2010年2月17日
504 Keywords 2010.02
504キーワード、花咲くまで種の息づかい。
■ M.I / 2010.02
------------------------------------------------
1. 今後の3年間。
2. 選択(役割 / 場所)、そして価値観。
3. 生み出すことの意味増大。
4. 取り組めば必ず答えが出る。
5. 1つにとらわれないこと、その意味の大きさ。
6. 歴史と文化、それこそが価値の源泉、台湾にて。
7. 言語よりも通じたのは、微笑みあうことでした。
8. 死生観のはたらき。
9. 忙しいときほど、気をつけなくてはならないこと。
10. 水曜会と、実はこれからもう1つ。
+α Rhythmical days
------------------------------------------------
2010年2月16日
” kiki restaurant ”
tour of life experience, Taipei " Our Path " 2010 © mukku
台北市MRT忠孝復興駅から歩いているときにみかけたお店。この看板はジジでは?
調べてみると、フュージョン四川料理のお店だそうです。
2010年2月14日
月日。
at Jioufen, tour of life experience, Taipei " Our Path " 2010 © R/K.
© mukku
写真を少し整理していてふと、月日の経過を感じました。小さい頃の自分とつい先頃の自分の写真を見比べたときにいつも感じるある感情とは何だろうか。大きな貝殻に耳をあてて、海の音を聴くような言葉にならない遠い感覚。そこには幾多の記憶がいつもサーッと流れていて、「大人になったな。」という声や「大人になったか?」という声、 「大人になってしまったか?」という声が、はかないところから聴こえてくるような気がします。
幼少の頃から好奇心のままに興味を引くものに心をよせて、感じたり想ったりしつつ、憧れや理想を胸に抱きながら、この今まで時を歩んできました。まだまだその憧れや理想はそれほどの距離になく、また、日々自分の至らなさも感じています。
人生とは不思議なもので、一つ一つ積み重ねることで見えてくるものもあれば、逆に、見えなくなるものもあります。それは、ある種の研究のようなものであり、未知に触れてゆく経験と同じであるように思います。それゆえに、心が引かれてやむことはありません。
これからも、どのように変化をして、そこに何があって、どのような方々と出会って、何を経験してゆくのか。それらのことをもって、次の世代に何を語り残していけるのか。時折このブログに綴っているいつものことですが、そのことに常にまなざしを向けています。
因果の中で自分の役目を感じ、それを果たさなくてはならないという根底にある感情がそう思わせるのかもしれません。見渡し、見通し、最善を尽くしながら日々に臨みたいとあらためて思うところです。
2010年2月13日
Taiwan で買い求めたもの。
一番上の写真は、茶葉を入れる茶器です。竹の葉の模様が蒼い色彩で描かれています。蓋の裏側にはコルクが付いていて空気が入って茶葉の味が変わらないよう密封ができます。私はこれを墨壷として使おうかと考えています。もしくは、神棚へお米の壷として用いることも考えています。
二番目の写真は、一輪挿し用の花器です。厚みがあり、下方向にしっかりとした重さがあって安定しています。これは家の神様へのお土産として神棚に捧げようと考えています。酒器とするか、そのまま花器とするかはいま考えているところです。
祭器具は一般的なものがありますが、大切なのは「こころ」であって、用いる道具はその表現。型をくずさないことも重要ですが、型を発展させることもまた大切なことと思います。伝統の保全は必要なことですが、時代に適合しない伝統を保全することはまた難しいものです。伝統とは先人達の革新の連続によって、当代に息を吹き返し、脈々と続いてきたもののように思えます。
昨年末より始まっているプロジェクトで、「暮らし方の楽しみ方」というものを考えています。それはおそらく、今を生きる自分たちが、場や空間をどのように感じ、とらえ、文脈を想い、様々な関係性を「暮らし」として用いるのか。その楽しみ方というところなのかもしれません。
何か一つ、場に据えることで、空間に花が咲きます。何か一つ、用い方を変えることで、空間に風が流れます。
人間の動物的野生(それは決して野蛮ということではなく、"いきもの / 生命"としての感ずる能力)とも言える感覚や思考については、今年はずいぶんと考えてみたいものです。
2010年2月 9日
2010年2月 8日
2010年2月 6日
2010年2月 5日
日曜日から台湾へ行っています。
tour of life experience, " Our Path "
- 2010/02/07 ANA NH1081
- 2010/02/10 ANA NH1082
" tour of life experience "
- 2009/12/16 - 11/29
- NY - Pittsburgh - NY
- " Variety is the spice of life. "
- 2009/11/11 - 11/23
- NY - San Jose - Pittsburgh - Washington, D.C. - NY
- " Intuition "
- 2009/09/30 - 10/05
- Singapore - Malaysia
- " Same "
- 2009/06/28 - 07/09
- NY - Chicago -NY
- " Precious "
- 2008/08/29 - 09/07
- SEDONA
- " Great something "
- 2005/06/24 - 06/27
- Shanghai
2010年2月 4日
100204 会話。
Afternoon tea cafe で、友人との会話。
人間の範疇を超えた道具
リコール問題に見られる人間の範疇を超えた道具を無自覚に利用してきたことの意味。機械は壊れるかもしれない、データは消失するかもしれない、動物としての人間の範疇を超えた道具を利用しているということは、そのリスクと共にあるということ。
集住へのまなざし
尾道の200軒を超える空家、若者100名ほどが移住して、小学校の文化祭のようにそれぞれが何屋をやって集住はどうか。一度、子供の頃のように考えてみるという柔軟性。要は、それで生きられるかどうかの問題。生存問題は、自家農業(もしくは地域農業)による自給自足でカバーする。そうした生存の確保は良いとして、次は社会存在としての家計が維持できるかどうか(税金などを収めれるかどうか)。そこに生業の必要性がある。
差別化要素
最大の差別化要素は、ライフスタイル。そして、時間の使い方。用い方とも言う。ライフスタイルを変えることで、生みだされた時間。それは、何事かに集中し、専門性を高める時間ともなる。結果、そのように時間を配分できない人・組織・地域との差別化要素となる。違いがあればお互いに学び合える、そして助け合える。差別化とはその意味において真価が発揮される。
世界集落
集団としてのアイデンティティは、血、地、知、智へと変化してきたのではないかという仮説。古代の小規模集団は、血縁による関係性。その後の中規模集団は、地縁による関係性。祖先由縁の血縁からも地縁からも離れた現代、つなぎとめるのは知性による縁。しかし、そこに心はあるのか。心の智性(philosophy)による智縁が生まれてくる、もしくは生まれているのではないか。それは、境界を超える。
同士共同の交易
集落が生き残るには生業が必要。生業が必要でも近辺では成り立たない。国内に求めてもどうなるか。そこで考えるのは、マルチエリア。拡集落発想としての世界集落。集落の半数を海外のあるエリアに展開。風土、時差、制度、価値観、文化の差を利用して、世界に分派した集落同士で文化交易、さらには共同体として生業を営む。一定の年数で世界三地域ぐらいをローテーション。ある意味、ロスチャイルドシステム?もしくは、チャイナシステム?
旅の意味の意味
旅は、太古の洞窟を利用したイニシエーションに続く意味を受け継いでいるのではないかという仮説。洞窟は、光ある生から闇中の死へと向かい、そこからまた生へと戻ってくる「場」である。一度死ぬことで新たな生を得るプロセスであり、再誕である。旅にも同じ意味があるのではないか。見知らぬ土地に赴くことで、日常の中で守られ安全の中で輝きを失っていた内なる生が目覚める。それは、全身の毛穴が解放されるかのようなもの。危機に直面したときに眠れる野生が目覚める。その非日常としての死界での経験が、今までの生を再考させ、また覆す。そうして、旅の意味は意味化されていく。
一日の重み
朝陽が豊榮昇り、無事に目覚めることができた有り難み。それは、つまり一日の生が与えられたということ。夕陽が沈むころ、無事に生を存(なが)らえたことへの感謝に頭が垂れる。そして、死の闇に向き合い、明日の生を願う。本来、生き物としての人間はそうした心持ちある姿ではないか。学生時代という春を親密に過ごした同級生の死。これはいま私たちがこうして生きていること、動けることの意味を痛切に思わざるを得ない。残された者の果たすべきことは大きく、時を祖末になどできない。誰だって常に生きていくことだけに心を寄せるのではなく、生きていることの重みについても心に宿さなくてはならないのではないか。
誰かのために生きることの意味
自分のために生きることは、ときに妥協をする、油断をするかもしれない。そして、自分のある範囲内で生み出すことになる。もちろんそれを超えていくために工夫を重ねるのではあるが。誰かのために生きるとき、誰かを想い、誰かの応えを考え、それはときに自身を律することにもつながり、誰かからの期待が大きければ、自己の持てるものは引き出され、範囲を超えたものが生み出される。愛する人のために、家族のために、これから生まれてくるであろう子に父の姿を語るときのために。そんな深遠な想いを持てるとき、人は視線を上げて一歩、歩みだす。
若い自分たちがいま挑戦すること
30代に到達したとき、若さが許されなくなるという重み。未熟、至らなさ、経験不足による恐れによる挑まなさは、30代の舞台に上がったときにじわじわと効いてくる。開き直り、子供のように純粋に信じきること、あらゆるものへの好奇な心と、何でも試す行動力によって、世界の輪郭を確かめ感じとるようなこと。そこで培った実感をもって、やりたいことがやれるようになって、しかもそれが社会的な意義や貢献に結実できるような人になること。そのための養生は、自分たちが30歳になるあと2年にかかっている。
会話:水曜の集まり。vol.2 #hwd
ひとまず、#hwdの保存の意味も含めてTweetのまとめ。
246r #hwd これからのキーワードとして「Archetype」さまざまに共有できる元形をいかに創れるか。
e_mukku タグ付け直し #hwd 想い入れの器の設計。1インチと1mm という原型から生み出されるモノの最終的違い。原型と母型を作る意義。芸術的感性をもつデザインが変節した時。西洋の油彩の修正可能性と日本画の修正不可能性、その一発集中力。削ぎ落として生まれる線、そこにあるを引き出すかの線。
e_mukku タグ付け直し #hwd DGW、風土、イメージカード。言葉のないところ。非言語の創造性。
e_mukku タグ付け直し #hwd 美しいかどうかより嬉しいかどうか。りっしんべんの重要性。BOP=bottom of pyramid, Social Design, Education. 文化、祭、伝承、見えないものへの想像力、サスティナブル、体験のデザイン、say。まだまだ続きます。
e_mukku タグ付け直し #hwd いまはファッションショーの話題。パーソナルファブリケーション、空想無印的なもの。インタラクション。使用者への最適化がほんとうに使用者の満足か。ほか。
e_mukku @kugehajime @bugaku @cozi_ @yohaku @246r 今日はありがとうございました!今回も19時から(kugeさんは18時30分)23時30分まで4時間半の間、話がつきませんでした。何か印象に残っている言葉をぜひ #hwd でtweetして下さい。
e_mukku #hwd 子供の本物を見抜く目。小さいギターじゃだめ。プラレールよりNゲージ。スカイラークのレジでプラスチックの電話よりiPhone。
e_mukku こちらこそ宜しくお願いします!「会えるってうれしい」という純粋な喜びでいっぱいでした!/ 今日は、ホントに楽しかった! 刺激的な話しばかりで、思い切って参加して良かったです。今後ともよろしくお願いします。 #hwd @e_mukku @kugehajime /via @246r
e_mukku #hwd 誰もが考える自分が所属する組織と自身の今後。代謝の要は次世代の芽を現世のリーダーが引き上げ、バックヤードから表へ並記、独記と看板をシフトさせていくこと。年長と経験のブランドがない場合はメソッドの体系化と実仕事にフォーカス。それとつながり。
246r 今日は、ホントに楽しかった! 刺激的な話しばかりで、思い切って参加して良かったです。今後ともよろしくお願いします。 #hwd @e_mukku @kugehajime
holmes1824 @e_mukku: 明日水曜夜にご飯食べます◎ @mutsumiota @dansrmz @holmes1824 @rikoto0610 @yohaku @cozi_ @kugehajime @cafemusic http://tinyurl.com/yhcgubq #hwd
e_mukku 明日水曜夜にご飯食べますのでよろしければぜひいらしてください。 http://tinyurl.com/yhcgubq #hwd RT @246r 集まりのイメージは「学生のころこんなふうに夜ご飯を一緒に食べながら自由にいろんな会話をしたよね」という感じです。次回は年が明けてから
e_mukku 明日水曜夜にご飯食べます◎ @mutsumiota @dansrmz @holmes1824 @rikoto0610 @yohaku @cozi_ @kugehajime @cafemusic http://tinyurl.com/yhcgubq #hwd
会話:水曜の集まり。 #hwd - ” めのうら。/ Menoura ”
2010年2月 2日
2/3、19時から北青山LaBohemeにてご飯を食べます。お時間ある方はぜひ。
★明日2/3、19時から表参道駅すぐの北青山LaBohemeにてご飯を食べます。お時間ある方はぜひ。遅れても大丈夫です。誰でもどうぞのオープンなご飯会です。会費はありません。各自食べた分をそれぞれ。 ▶北青山LaBoheme http://tinyurl.com/ylmlqsb
Twitter / Munechika I, Tokyo: ★明日2/3、19時から表参道駅すぐの北青山LaBo ...
●私の連絡先です。
![]()





































