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2010年5月20日
iPad Flick Typing for Japanese (concept design).
まだiPadを手にしたことがないのですが、文字入力はこのようなUIだったら便利かなと思ってイメージを作成してみました。歩きながら両手の親指でタイプができるといいなぁ。
以下、拡大画像です。
追記(2010/5/23):外方向へのフリック入力
tweetie 2 for iPhone のリロードのように、ちょっとぐいっと引っ張る感じで入力。
もう少しエレガントなUIだといいな自分でも思いつつ…。
※tweetie 2 for iPhone のリロードのUI
ブラックバージョン
2010年5月14日
2010年5月12日
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2010年2月 2日
2010年2月 1日
2010年1月24日
” 白含の美 ”
園田天光光さんのご著書『女は胆力』の後半に含まれる「第8章言葉に宿る胆の力」の一節「手紙の効用」の箇所でメールには時候の挨拶が省かれており合理的で、余白の美という日本の美がまるで無駄なようなことはとても寂しい気がしますという内容を読んでいて、ふと頭に" 白含の美 "という言葉が浮かびました。
この「白含」という言葉は、void という単なる空隙ではなく、だからといってホワイトスペースデザインの指すそれでもなく、設計という技術によるものでもないのではないか。どちらかと言えば意力。籠めるとも籠るとも言える、精神の賜りもの。その意も味をも知らずとも一時(いっとき)、その目が触れた瞬間に感じる眩しき白き導き。この非言語的な感応。
今年のテーマの一つに「ことばのないところ。」というものがあります。これは、人は「見えるもの」以外に感じている「見えないもの」というものがあるのではないかという考えに端を発するものです。例えば、人が手で作ったお椀と機械で作られた全く同じ素材の同じ部位で同じ寸法で何もかも同じつくりのお椀があるとします。人間はどちらを選ぶのか。普通にはわからないのかもしれません。しかし、もしかしたら現代における"普通の"感覚は普通ではないのかもしれません。
人がこころを込めたもの、それは文章にしても、グラフィックにしても、モノにしても、コンセプトにしても、あらゆるものはそれを生み出す意力、つまりは意志の力や精神性が反映されるものではないかと思います。それは例えば、絵でいえば具体的には線や色に「見えるもの」として現れ、それが人に伝達するものとされるわけですが、そうではないより抽象的な存在の感というものは、実は見えるものだけによって受けているのではないのかもしれません。
ここで言う「白」は、とくに色を示すわけでもありません。
白き部分に何を込め、何を含めるのか、そして白き部分に何を感じ、何を想うのか。
想いを籠めて事に当る大切さ、その誰かが籠めたであろう想いを感覚の産毛を震わすかのように聴くこころ、それら「白含の美」に触れる精神の感度について今年は心を配していきたいと考えています。


















