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2009年7月21日
NYの記憶:The Metropolitan Museum of Art - 気になった作品たち。その3
METを訪れたときThe Model as Muse: Embodying Fashion / May 6, 2009–August 9, 2009の展示が開催されていました。中の展示は美しい洋服とユニークでポップな印象もある夢に溢れた内容。さっきまで紀元前のものを見ていた目に驚きをもって映り込みます。
展示の様子はMETの公式Flickrアカウントでご覧いただけます。(海外はこうしたソーシャルメディアの活用がずいぶん進んでいます…と言いますか普通のこととして活用されているように思います。生活者が利用しているメディアを、サービス側も利用すればコンタクトポイントがつながりやすいのは自明とも言えます。)
MARC JACOBSとVOGUE、GQ、Wired、The New Yorkerなどなど数々の雑誌をてがけるCondé Nast Publicationsがサポートしているとのことで、各年代の衣装に合わせてVOGUEのバックナンバーがありました。昔のVOGUEのイラストには良いものがたくさんあります。
これは入り口ロビー吹き抜け2階の回廊に展示されていたもの。何かを描こうとするとき通常ではこんなようには描けないような気がしてそこに表象されているものは何なのだろうと考え込みました。
文様、彫り、共に見事な玉。
1階の入り口を上から見るとこんな風景です。
象徴的に作品を見せる設え。
入り口ロビーにも作品があります。
作品名は失念しましたが、様々な書籍でも目にする有名な作品。とてもスタイリッシュです。
ロビーを行き交う人を眺める少年。
ベンチで電話をする人。
スーラの絵。
スーラの絵。その2。
モネの絵。湖面の反射の質感に迫るものがあります。
図像が浮き上がってみえてくるのが面白い。
文明大展示といった趣き。切り取られた世界がここにありました。
まだ魂が残っていそうな像。他にも「神々が展示されている…!」とこちらが少し身震いしてしまうほど、人々の祈りや民族の誇りが沁み込んでいる像も数々見受けられました。
これも象徴的。なぜ欠けているのかは定かではありませんが、見えないものが見えていた、自然やその他の存在への畏敬の念を感じとっていたかつての彼の地の人々の消息を、ここに感じずにはいられませんでした。複雑な心境になりながらそこに考えるべきテーマがありそうだと思いました。
またMETに来て今度はゆっくりと時間をかけて見て回ろうと決め、約二時間、急ぎ足で一回りしたMETを後にしたのでした。
- NYの記憶:The Metropolitan Museum of Art - 気になった作品たち。その1
- NYの記憶:The Metropolitan Museum of Art - 気になった作品たち。その2
2009年7月19日
NYの記憶:The Metropolitan Museum of Art - 気になった作品たち。その2
NYの記憶:The Metropolitan Museum of Art - 気になった作品たち。その1はこちらから。
本当にこの方はこのような体型だったのでしょうか。胴回りの造形がデフォルメされているような印象。お顔の小ささが強調されています。
アデライド・ラビーユ=ギアール『弟子二人と一緒の自画像』
出会えて嬉しくなったのがこの作品。アデライド・ラビーユ=ギアール(Adélaïde Labille-Guiard, 1749年4月11日 - 1803年4月24日)は、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Élisabeth-Louise Vigée Le Brun, 1755年4月16日 - 1842年3月30日)と共に1783年3月31日に女流画家として初めてアカデミー会員となった人。実は、日本の国立西洋美術館に『自画像』が収蔵されているマリー=ガブリエル・カペ(Marie Gabrielle Capet, 1761年-1818年)が師事していた人です。
師匠はアメリカのメトロポリタン美術館に、弟子は日本の国立西洋美術館に、NYと東京、約11000kmも離れた場所に存在しているんですね。
ギアールの後ろに二人の弟子が描かれていますが、その左側がカペです。国立西洋美術館にあるカペの『自画像』では、当時の流行衣装とは言え、カぺの身にまとっているファッションが実に師匠ギアールのそれとよく似ていると思っていました。
そこには先生に近づきたいという思いがあったのかもしれませんし、お茶目にこんな風になれたらなぁなんてうっとりとそっと自分に着せて描いてみたのかもしれません。
カペはフランス大革命直後の1791年のサロンでは、出品した21人の女性画家に名を連ねているようなのですが、現在ではあまり一般に知られていない画家のようで情報も多くありません。こうしてギアールの作品を通してまた見られることを嬉しく思いました。
『自画像』は22歳のときに描かれた作品ですがその力量と画面いっぱいに溢れた溌剌さ、その自信と誇りの高さは、時代を超えてひそかに自分のライバルにしています。
ちなみに、ルブランの作品では『麦藁帽子をかぶった自画像』を気に入っていて、ギアールやカペなどの画像同様にデスクトップの背景のローテーションに加えてあります。
男性社会に入っていた画家たちはきっと気丈だったのだと想像します。また、絵を描くときに本当にこんなドレスを着ながら書いていたのかと思うほどエレガンスなところも心ひかれるポイントです。
こんなに大きい作品です。
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2009年7月18日
NYの記憶:The Metropolitan Museum of Art - 気になった作品たち。その1
展示作品は星の数ほど膨大で気になったものをその都度撮影していては3日ぐらい経ってしまいそうなので、特に気をとめたものだけデジカメにおさめてきました。ちなみにMETの撮影ポリシーはこちらからご覧いただけます。
こういうものを見ると支えていて大変そうとつい思ってしまいます。
どんな音がするのか想像していました。ピアノだけどチェンバロっぽい音が鳴りそうな意匠。
Frank Lloyd Wrightの建築は部屋まるごとが展示されていました。
表情が素晴らしい。勝利の女神ニケもこんなお顔をしているのかなと思いつつ。
正面がとても気になりましたが、確認する時間がありませんでした。次回確認します!
ここの展示室はほんとうにため息がでるほど素晴らしかったです。収蔵されている作品一点一点が素晴らしいということではなく、こうして年代の家具や調度品が整然とそして奇麗に保管されていることに感動をしました。デザイナーや職人は、ここを見本帳として利用できるだけでなく、学生にとっても過去の歴史をふまえて自分たちの時代やこれからのプロダクトを考える契機になるでしょう。
広場の中にある作品展示。矢を持つ像の先に天使?が展示されていますが、相関関係があるのか興味津々でした。
銀製の(ペーパー?)ナイフ。この独特な表情が気になります。
熊のこのユニークな表情。これを作った方はどんな気持ちで作ったのだろう。
2009年7月17日
NYの記憶:The Metropolitan Museum of Art, New York
tour of life experience in NY-Chicago " Precious " , 2009 ©mukku
NYの Fifth Avenue at 82nd Street、セントラルパークのすぐそばにあるメトロポリンタン美術館。日本の国立博物館や国立新美術館のように公園の中だったり奥まった場所にあるのではなく、MOMAやWhitney Museum of American Artなどと同じく、街中に存在しているので人々に開かれている印象を受けました。中に入るとその巨大ささに、" Huge ! " と叫びたくなるほどの規模でした。約2時間かけてとりあえず一巡りしてみましたが、入っていない展示室も多数…と言いますか膨大。文明文化の海に溺れかけてきました。
入り口では、ストリートミュージシャン達が大階段に座る人々を楽しませていました。
そして、憩いの場ともなっている大階段を登りMETヘと入っていきます。特別展は "Francis Bacon: A Centenary Retrospective" という掲示が出ています。
大きい扉、高い天井、光の差し込む天窓、広大な空間。
MOMAと同じようにMEMBERSHIPのカウンターには常に数人が待機。こうした地道な活動が巨大な美術館運営を支えているのでしょう。
建物の中にもう1つ公園があるような感覚。ベンチがあるのがいいですね。
まずはエジプト美術のエリアへ。気になった石。まず、エジプトのブルーへの関心はどこから来ているのだろうと考えていました。ゴールドとブルーに神性を感じていたのだろうか。生命の進化の過程をたどる太陽と海への遠い記憶と共鳴からかな?千住博さんも著書で色について語られている部分でこのゴールドとブルーについては触れられていました。そして、この石に彫られた動植物と人と道具に示されている営み。ここに込められた意味はなんなのだろう?
人類が動物をかたちづくろうとするとき、そこに何を想うのか。この像を眺めていると、人と動物が近かった時代があったのかもしれないと、山極寿一さんのご講演内容を思い返していました。
サックラーウィングのエリア。記念撮影をしている家族がいました。
奥に見えているのが「デンドゥール神殿」。紀元前15年頃の神殿なのだそうです。ここにあることが凄いなと感じつつも、その"凄いな"の中には、本来あった場所から切り離されて存在していることへのささやかな違和感も含まれていました。エジプトからの感謝による譲渡とは言え、本来の場所にあったらどれほど感慨深いものがあっただろうか…とも思ってしまいました。一方で、ここに展示されているからこそ、目の前になかなか目にすることのできないものを見ることができているという恩恵を受けている点は有り難いと言えるのですけれども。
「このモニュメントは、そのまま置かれていれば1960年に開始されたアスワンハイダム(Aswan High Dam)の建設により、完全に水中に沈んでいたでしょう。古代ヌビアの様々なモニュメントを保持するための国際キャンペーンに対するアメリカの功績を讃え、このデンドゥール神殿はアメリカに譲渡されました。デンドゥール神殿は(古代エジプト王朝を滅ぼした)ローマ皇帝アウグステュスによって(標準的な古代エジプトの神殿様式で)建てられ、豊饒と受胎の女 神イシス(Isis)と神聖視されたヌビア族の頭の2人の息子が崇められてきました。 ナイル川の岸に見られた建築ととても良く似ているこの構造は、当時標準的なエジプトの信仰寺院を少しシンプルにした構造になっています」。
管理人が見つけたびっくり風景4
2009年7月16日
NYの記憶:東京の魅力。
tour of life experience in NY-Chicago " Precious " , 2009 ©mukku
NYの街は、日々彩りに溢れていて、毎日何かドラマがあり刺激的でエキサイティングな場所でした。
毎日たくさんの距離を歩き、街や人を見ながら東京はどうしてこのようではないのだろうかと考えていました。都市環境からすれば、東京の方がコンパクトにまとまっていて利便性は高い。そして、NY同様に世界中の情報や商品、そして芸術がこの都市にやってくる。それはとても魅力的に思える。
では、なぜ海外の他の都市を思うとき、東京の魅力はそれほどではないのか。もちろん普段慣れてしまった土地よりも他の土地の方が面白そうに見えることはあるでしょう。しかし、そうした要素を抜かして考えた時、根本的に違うのは人と人との距離感だと感じました。
友人が、「(NYは)差異が前提になっているから。」とメールに書いてくれましたが、まさにその通りで、多様性が基礎にあるから自分のような visitor でも街は…つまり人は受け入れてくれる。NYにいると毎日の smile の量が違う。お店で商品を購入する、スターバックスでコーヒーを飲む、バスに乗る、エレベーターで乗り合わせる、駅の受付で地図があるかたずねる、クロークから荷物を受取る…書き出すときりのないほど、生活の日常の中で目と目が合えば微笑み合うことが多い。一言二言の言葉を交わすこともある。
自分がやたらニコニコしている tourist だから微笑みかえしてくれるということでもなく、きわめて open mind な自然な所作でした。もしかしたら出会う人々に特別恵まれていたということなのかもしれませんが、NYの街に暮らす人は、友達の言葉通り、移民の多い土地柄、世界中からの観光客の多い土地柄、人を受け入れる文化が培われてきたのではないかと実感しました。ある方によると、9.11以降ニューヨーカーは人に対してより柔軟に、そしてお互いに支えあおうという精神が生まれてきたのだそうです。
かつて日本も「袖振りあうも多少の縁」という言葉や江戸思草の「束の間づきあい」という言葉に代表されるように、人と人とがより親密な関係にあった時代があったと思います。それは、現代では部分部分のコミュニティに限定されてしまっているような気がして、都市として見たときにどこまでその文化と言いますか姿勢のようなものが保たれているのか、もはや感じ得難くなってきてしまいました。というのも、きっと一人一人が"忙しい"のでしょう。"忙しい"とあえてくくって表記するのは、単純に時間的に忙しいということがその本質ではなく、他の人のことまで心を配るような余裕がない"忙しさ"という意味を強調したいからなのです。自分も今回の旅の前まではそのようだったかもしれないと自己を省みていました。
過去は、同じ地域に住み重ね土地の縁(地縁)を築き、家族は同じ家に住み重ね血族の縁(血縁)を築き、芸事に携わらない者であっても地縁や血縁に含まれる文化的なものを意識的にもしくは無意識的に伝承してきたことと思います。それから都市が生まれ、江戸商人たちは狭い土地で上手く暮らす知恵(江戸思草)を編み出し都市暮らしの工夫を重ねました。その後、欧米の生活文化が流入し近代の大都市化が加速していく中で、東京には多くの人や情報が高密度に集積することになりますが、しかし、東京(に暮らす人)はいまだその変化に対応(適応)しきれていないのかもしれません。
NYで生活する人は、都市の扱い方=暮らし方を充分にわかっていて各々自分らしく楽しんでいるように思いました。それは日本であれば、一見気ままにも見えてちゃんとしていないようにも見えるかもしれません。でも、その"ちゃんと"とは何でしょう。生きることがまずあって、食べることがあって、働くことがあって、遊ぶことがある。全ては life の延長線上での行いであるのに、昨今は 情報であったり経済であったり、その比重が大きくなりすぎているのかもしれません。より simple にもっと言えば、life with outright simplicity と言うほどに最も大切なものに目を向けることが大切なように思いました。そこがなければ、本来の個性や人間的な力の輝きが失われます。まず、basic を大切にすることで、自分らしくあることができ、さらにはそれが各方面での performance へとつながっていくのでしょう。
NYで生活する人は、経済事情や貧富の差はあれど、それでも今日という一日がある。なんだかそんな心持ちで、一日の様々な happening を楽しんでいるのではないかと思えました。彼ら彼女らの表情を見ると、とってもよく"生きている"。この街でこの人たちと生きているという実感があるのかもしれない。東京だって一人一人がほんのちょっとだけ日々の行動を変えてみれば、それはやがて大きな変化となっていく。一日の中で、自分のことだけではなく周囲の人のためにちょっとでも考えをおよばせる時間を持つことができたならきっと。
Do for others.
東京の魅力は人がつくる。
2009年7月15日
NYの記憶:”Voice” in front of Guggenheim Museum
2009年6月28日から7月8日までのNY-Chicago11日間の旅から戻ってきて以来、いまだにその内容をまとめられないまま初夏から盛夏にさしかかろうとする東京で慌ただしい日々を過ごしています。旅の前も慌ただしかったのだけれども、旅の後の慌ただしさはそれをしっかりと見据えつかんでいるような俯瞰的な落ち着きがある。遠く離れた(心理的には近いものではあるが)土地に赴いて、全然違う生き方を送っている躍動的な人々を目にして、何かを直覚したのだと思う。その削り出しは、帰国してから寝る前に綴り始めたノートに記しつつあるところ。
さて、NY-Chicagoの旅について物語のようにまとめてドンと出そうと考えていたのですが、そうするとどうも盛夏にさしかからんとばかりに蒼々とした木々たちが赤や黄に染まる時分にまで差しかかってしまいそうなので、めのうら。の言葉通りに(「めのうら。」は、めもをしるすことから付けられた「めもしるす。」のうらという意味。)、または印象派の筆使いのようにそこにみえたものを書きとめておこうと思います。
上記の映像。これはNYを訪れた後にChicagoに5日間行ってまたNYに帰ってきた翌日の昼下がり。Cooper-Hewitt, National Design Museumで”Design for a Living World”という展示を見た後、MET(The Metropolitan Museum of Art)に行こうとセントラルパーク沿いに南下していたとき、グッゲンハイム美術館の前でこの光景に遭遇する。
Frank Lloyd Wrightが建築した真っ白なグッゲンハイム美術館の前でブルーのTシャツにブルージーンズを着た男性が一人、ニットの帽子を両手で握りしめて歌うその姿には、ひときわの存在感を感じた。歌声からほとばしる熱情にしばし時を忘れ、その後になってなぜ歌うのかをずっと考えていた。しばらくして、ニットの中にコインを入れると、これまでのストリートでのそれと同じように "Thank you!"と言われるかと思っていた。だけど、違った。何も言わなかった。すぐ近くのその顔を見やると一生懸命に歌っていた。何かを見て、何かを思いながら。
今日もあの歌声が頭の中に聞こえてくる。

tour of life experience in NY-Chicago " Precious " , 2009 ©mukku
tour of life experience in NY-Chicago " Precious " , 2009 ©mukku
tour of life experience in NY-Chicago " Precious " , 2009 ©mukku
tour of life experience in NY-Chicago " Precious " , 2009 ©mukku
2009年7月11日
” Are you watching iPhone? ”
at The Metropolitan Museum of Art, New York
tour of life experience in NY-Chicago " Precious " , 2009 ©mukku
NYのThe Metropolitan Museum of Artで展示されていた作品。
ん?iPhoneを見ている?と思ったのは、自分だけではないはず。
そう思わせるほど肢体のバランスが優れていました。
2009年7月 4日
シカゴ オヘア国際空港からシカゴ市内へのハイウェイ。
アメリカ時間の7/2にO'Hare International Airportに到着し、その場でレンタカーをネットで検索、予約、引き取り、ハイウェイにのって一路シカゴへ。
遠くからでもそれとわかるメガロポリスに近づけば近づくほど胸が高鳴ります。
シカゴ市内に到着すると、きらきらとした街並に、風がよく通り、湿度もNYに比べて高くなく、そして五大湖の一つであり、まるで海のようなミシガン湖がすぐそばにあって、風光明媚なとっても素敵な土地でした。NYに引き続きこちらも快晴続きです。
今回の旅の荷物 - NY。
1泊2日分の服と小物のみで、あとはこちらでお会いする方にお渡しするものだけなのでとても軽いです。
洋服は、NYのGAP(now on sale)で現地調達しました。
NYのグッゲンハイム美術館のクロークで、預けていたスーツケースを引き取るとき、取りにいってくれたちょっぴりふくよかな男性の方がすこし重たそうな仕草をわざとしてこちらにニコリと。「ちょっと重たいかも」と声をかけると、「全然、大丈夫(俺はパワフルだからネ!)」というような感じで応えてくれました。そして、「これはスパイ映画のケースみたいだね!」とユーモアたっぷり。
こちらではセキュリティの方やクロークの方などのスタッフが、気さくで愉快で、毎日を楽しませてくれます。













































